考えすぎ
2004年8月26日今日はメイクについての鷲田清一の本を読書しながら考える。
本来自分の顔の見えにくい部分を際立たせるのがメイクなのに、
年齢とともに自分の顔を隠すためにメイクをするようになってくる。
それをナチュラルメイクと呼んだりするけど、
ナチュラルつってもメイクはメイクなんだから、
そこには矛盾を孕んでいる気がする。
みんなが同じようなナチュラルメイクをしてしまったら、
それがある種のスタイルやモードとなってしまい、
個性でも自然でもなくなっちゃう気がする。
似たような話で、本来は体制や規制を否定する意味で生まれたパンクが、
一定のイメージに定着してしまっているのは変だろって話があったけど、
同じようなものなのかな。
なんてことを考えてばっかいると人生を損してしまう気がするので、
そんなことは考えなくても解るようにもっと本を読もうと思いました。
ダブル太陽だ。
本来自分の顔の見えにくい部分を際立たせるのがメイクなのに、
年齢とともに自分の顔を隠すためにメイクをするようになってくる。
それをナチュラルメイクと呼んだりするけど、
ナチュラルつってもメイクはメイクなんだから、
そこには矛盾を孕んでいる気がする。
みんなが同じようなナチュラルメイクをしてしまったら、
それがある種のスタイルやモードとなってしまい、
個性でも自然でもなくなっちゃう気がする。
似たような話で、本来は体制や規制を否定する意味で生まれたパンクが、
一定のイメージに定着してしまっているのは変だろって話があったけど、
同じようなものなのかな。
なんてことを考えてばっかいると人生を損してしまう気がするので、
そんなことは考えなくても解るようにもっと本を読もうと思いました。
ダブル太陽だ。
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